<秋田でのペーター佐藤原画展開催にあたって>
夫ペーター佐藤が亡くなってから20年の歳月が流れましたが、夫にとって縁の深い秋田でこのような大規模な展覧会を開催することが出来、私同様、ペーターも関係者の皆様のご尽力に深く感謝し、喜んでいることと存じます。
ペーターの母は横手市の出身で、ペーターの生後すぐお母さんは東京に出てきているのでペーター自身に秋田の記憶はありませんでしたが、祖母の秋田弁を聞くのがすごく好きだったと生前話していました。自身の展覧会や講演で秋田を訪れた際は、竿燈の絵を描きたいと言っていた思い出があります。
また生前「あきたおばこ」の絵を描かせていただく機会があったのも秋田との縁といえます。
70年代〜80年代、本人がニューヨークでアトリエを構えていたこともありますが、実際当時のアメリカ的な空気感を表現していたイラストレーターではあるのですが、本人の人となりとしては、日本的な風俗や歌曲をこよなく愛する人間で、特に浪曲や映画、お芝居が好きでした。
ベトナム戦争後の雑然としていて危ない感じのニューヨークにロフトを持っていたペーターのところに日本の出版社の方や友人が訪ねていくと、パンクなファッションでペーターが絵を描いているのに、BGMは村田英夫や美空ひばりが大音量でかかっていたそうです。ペーター佐藤という人にはそういうギャップの面白さがあったと思います。絵というのは人となりですので、フリーハンドで全ての絵を描いていたペーターにはどこかでそのギャップの面白さが出ていると思いますし、私はそういうところに誇りを持っています。
私は、この先いろんな才能を持ったクリエイターが出てくると思っていますが、やっぱりペーターの絵はペーターの絵だなっていつも思います。世界で、日本で、また秋田からも若いイラストレーターやクリエイターが育っていく中で、ペーターの絵が何か手助けになっていれば、それが一番有難いと思います。
ペーターは生前頼まれてセツモードセミナーや京都のインターナショナルアカデミーで絵の講師をしたりしていましたが、若い人の作品や発表されたものに関しては、すごく関心を持って見ていました。それまでに自分が好きだったものだけ見るのではなくて、新しく出てくるものを常に意識して見ていたようです。
ペーターズショップ&ギャラリーは来年30周年を迎えます。ペーターが現役のうちに自分の好きな作家さんの絵を飾ったり、自分の絵を見てもらうためにギャラリーを作ったのです。
ペーターの生前は、ペーターがお金を出してあの人にやってもらいたいという展覧会をやっていましたが、ペーターが亡くなってからは貸しギャラリーとして運営しています。
積極的な事はあまりできませんが、ペーターの絵は残っていますし、私の姉の主人である伊坂芳太良(ペロ)の原画は全部あり、年に1〜2回の展示をし、多くの方が訪れてくれます。ぜひ東京のお越しの際は原宿の当ギャラリーまで足をお運びください。
最後に、今年が没後20年にあたるという事、なかなか個人ではできない事、そのうえ縁のある秋田で開催できるという事、すべてに感謝しつつペーター佐藤の世界を感じていただければこれに優る喜びはないと思っています。
ペーターズショップ&ギャラリー オーナー
佐伯 千賀子
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